秋の夜長をみなさん、いかがお過ごしですか?
大濠キングです。
今日と明日は、すこしばかり哲学のお話をしたいと思います。
大濠キング的に、『たてとほこ』だと思ってる事があるのですが・・・
今日は、『たて』のお話です。
『我思う、故に我在り。』
一度は、聞いたことがあると思います。
そのまま読むと・・・
『私が考えている(思う)ことが、私(それ)が存在していることの証明である。』
と、いったところでしょうか。
哲学ではこの考え方を『観念論』というそうです。
たとえば・・・
『神様の存在』です。
実在としての『神様の存在』の証明は誰も出来ないでしょう。
お坊さんでも、神父さんでも・・・
『神様はいるのですか?』との問いには、決まってこう答えます。
『神(仏)は、あなたの心にいます。』 と・・・
次に、『愛・恋』といった感情です。
『愛・恋』も、それ自体の証明となると難しい。
言葉や、態度であらわしてもそれが『実在』の証明にはなりません。
『自分自身が、好きだと思うから愛・恋である。』 としかいいようがないのです。
人間関係でも、同じことが言えます。
『あいつは、なんかしゃくにさわる。』とか、『あいつは、きらいだ。』とか・・・
『こん会社すかん。』とかね。
で、そんな時どう解決するのか?
『観念論』を逆にするのです。
『きらいと、思わなければ、きらいじゃない。』
『好きと、思わなければ、好きじゃない。』
しかし、そう思い切れずに人は名や悩むんですよね・・・
なぜか???
それは、『思いを止めるだけでは、問題は解決しない。』からです。
『仕事がキツイと思うから、キツイのか?』
『借金が在ると思うから、貧乏なのか?』
ど~考えても、『観念論』だけでは解決しないのです。
大濠キング的に、『観念論』は常に受身のような気がするのです。
つまり『たて(盾)』です。
考え方が、『観念論』的な人ほど受身の人が多い気がします。
明日は、 『たてとほこ ~ ほこ編 ~』です。